1学期期末考査振り返り

今回ほど、ノー勉で挑んだテストはない………というくらい、日々の課題に追われてテスト勉強どころではなかった。

というのはいいわけであることはわかっている、、

課題に加え、高校初めてのテストだから低い点数を取っても許されるだろうという根拠のない根拠(???)が邪魔をして、勉強をしていなかった。

あとは、テスト期間中になぜか語学を始めたいと思うようになったり、筆ペンを極めたいとか考えたりしていた。これも一種の現実逃避な気がした。

 

テストを通してわかったこと

 

私は、従来の日本の勉強スタイルが苦手でIBを選んだ。悪く言えば、消去法的な考え方で安易に選んでしまった。でも、DPの学びの根底には、知識がベースとなっていると気付くことができた。

 

今回のテストが散々な結果であることは目に見えてわかる。しかし、このテストを通して、自分の中でのDPの学びがより鮮明なものになった。

 

まず、自分は現PreDP生であり、これまで通りの暗記重視のテストはでないだろう、と思っていた。でも、正直暗記ゲーじゃん……みたいな科目が多かった。暗記すればそれで終わりだが、逆に暗記することを怠ってしまえば別の意味でおわる。たかが暗記、されど暗記、、

さらに、DPの最終試験に似せた、論述形式の問題も出題されたが、自分の意見を主張する際にもやはり知識は前提となる。

 

したがって今後の課題としては、どんなに課題に追われようと、その日授業で学んだことはその日のうちに復習することだ。そうすることで、知識を習慣的に定着させ、テスト前に膨大な量の情報を頭に入れるという作業をなくす。

って、中学校のときには当たり前にできていたことが、高校に入ってからできなくなっているなんて……どうしてなんだろう。もしかしたら、根本的な原因は、まだ高校生活に慣れていなくて時間的な余裕がないからなのかもしれない。

とりあえず、おわったのでもういいです。(来週からのテスト返し&先生からのフィードバックが怖くて夜は眠れそうだけど学校行きたくない泣泣)

風邪をひく

5月も終わりが見えてきたと同時に、高校に入学してから1か月が既に経った。

が、この1か月でいかに自分の体が悲鳴を上げているのかを知った。

 

風邪をひいたのだ。

 

たかが風邪??と自分でも思ってしまう。

最初こそ軽視して登校していたものの、日が経つにつれ、

朝起きてからだるい→登校してもぼーっとする、睡魔が襲う→授業内容が頭に入ってこない→流れでグループワークが始まる→発言時、自分でも何を言いたいのかがわからなくなる→周りに心配される

という悪循環に陥った。これはただの風邪ではないと思い、学校を1日だけ休んで病院に行った。

病院の先生「う~~ん…風邪ですねぇ~」

 

私は気にしすぎなのかもしれない。

 

でも、よく考えてみれば、心あたりは結構ある。

今までの生活とは全く別の環境が、刺激的すぎた1か月だった。

片道2時間の通学路、週5~6の部活に合わせてボランティアや団体での活動、そのうえ、同期のIB生と比べて先生に指摘されることが多々(劣等生)……などなど。

書き出してみてわかったが、これがストレスの要因にならないわけがない、、、

 

この件を通して学んだことは、最初からはりきりすぎてはいけないということ。

そして、多忙を楽しむという考えは、自分の体のSOSを無視しているのと同じということ。

IBが本格的に始まる前に、これを知れてよかった。

風邪も、なかなかいい仕事をしてくれる。

新学期のびっくり

気づいたら高校生になって2週間くらい経っていた。

春休みにも課題が出てそれを終わらせたり、新しい環境に慣れたりするのに必死で、このブログの存在も忘れかけていた。

存在を思い出したのはカラスの鳴き声を聞いた時だった。

なにやら遠くから「パワー!!パワー!!パヮーーー…!!」と某芸人のモノマネをしている子供がいるな、、と思った。それがカラスだった。何かのネタに使えるかもしれないと考えたときに、この忘備録を忘れかけていたことに気づいた。新しく始めたものの大半は、3日坊主というより1日ですぐやめてしまう私だから、月に1回くらいはブログを更新したいものだ。でも、いつか忘備録の忘備録をつくる日がくるかもしれない。

 

超どうでもよい長い長い前置きに反して、入学式から先週までのおよそ2週間は、秒で終わった。最初の1週間はオリエンテーションがメインで、心配してしまうくらい遊びまくった。(その代わり、他クラス・他学年の知り合い≒よっ友を確保できたので、意義のあるものだった)

授業がやっと始まった週の初日で、今週は長い7日になると思うよ、なんてホームルームで友達と絶望的に話していたことが、まさに杞憂だった。

 

私はIBというプログラムを受けに、今の高校に通うことになった。

IB生と、レギュラー生の両方の人と関わりながら学校生活を送っているので、高校3年間という全体に比べると今はまだまだ序盤だが、それでも毎日が驚きで埋め尽くされている。ということで、「新学期のびっくり」と称して、良い意味でも悪い意味でも衝撃的で、興味深い、私の印象に残った出来事を書き留めておく。

 

 

①自分の英語力に若干危機感を持つ

びっくり度★★☆☆☆

 

DPは、国内のIB認定校であっても最低2科目は多言語で行う必要がある。高1の今は、DPの準備期間といったところで、ほかの教科よりも英語による英語の授業の割合が多い。なのに、私はすでにこの準備期間で英語力のなさを実感している。DPは2年次から始まるけれども、これはまずい。。

今まで自分自身の英語力にプライドを持っていたが、今の学校に入った途端、微妙に自分よりもレベルの高いクラスメイトが突如参戦してきたのだ。「英語ができる」と錯覚していたのは、たぶんだけれど、日常会話で自分は満足していたからに違いない。普通の会話だったら、何か意見を求められたときには、一般論を言えば「そだね~」でおしまいだった。本当は心の中に別の意見があったとしても、自分の英語力でそれを表現できない場合には、一般論という逃げ道があったのだ。でも授業では違う。一般論を言うことは、私には意見がありませんと自分で認めているような気がして、みじめな気持ちになる。

ただ、唯一、ある能力だけは相殺されてうれしいと思っていることがある。自分の発音のよさを指摘されないのだ。中学校は、田舎のほうにあって自分のような人がほぼいなかったから、英語を話すだけで悪目立ちしていると決めつけられることが多々あった。

こういうストレスが、少し軽減されてとても解放された思いだ。

とにかく、日本語のときと英語のときとで、授業を受ける自分のギャップをなくすことがこの1年間の課題となった。

 

②同期のIB生のやる気のなさに辟易

びっくり度★★★★★

 

従来の日本式の授業が苦手で、まあ悪く言えばIBDPに逃げてきた私だが、こんな私でも必要最低限のIBの知識は頭のなかに入っているつもりである。というより、受験の下調べで自然と身についていた。

しかし、、共にIBを受ける同級生の何人かがIBについて全く知らなかったのだ。。同じ知識を持っているという前提で会話をしてしまった私も悪かったかもしれない。これには大変ショックを受けた。まあ、私が単に人に期待しすぎているだけというのはわかっている。でも、まさか「CASって何?」と同じIB生に聞かれるのは予想外だった…え、、、、、逆にどうして受かった……?

何がむかつくかというと、できる限り念入りに情報収集をして、自分の力でIBプログラムを受ける権利を得た私と、そうでない無知な人とが一緒にいるという状況だ。しかも、これが完全なる個人戦だったらまだしも、これから先授業中でもグループワークをする仲間だ。この差は一体なんなのだ。。

あとで志望理由を聞いてみたが、少なくとも志望するにあたって親の介入があるようだ。あとは、IB=海外大学という思考回路をしていた。

でも、彼らのことはあまり気にしないでおこう。

いまだにIBを楽しいものだと錯覚している私もまだまだ無知で、お互い様だと思うから…

 

③レギュラー生のほうが志が高い

びっくり度★★☆☆☆

 

これに関しては、逆に安心した部分だ。

レギュラー生のほうが自分の意見を持っていて、将来を考えて勉強している印象を受ける。一緒に授業を受けるときもあるのだが、グループワークのときにも黙っているとかそういう人はいないし、むしろ楽しい。休み時間やお弁当のときも私はレギュラー生と積極的に関わるようにしているし、これからもそうするつもりだ。(なんて自己中...)

 

④お腹がめちゃくちゃ空く

 

びっくり度★★★★☆

 

学校まで徒歩5分、ずーっと椅子に座って授業を聞くという中学校生活を送っていた私だが、高校に入ってからは常に移動しつづけている。そもそも通学時間が去年と比べ物にならないくらい長くなったし、学校に通う(いる)だけでダイエットできるのではという運動量を稼いでいる。

こないだも、2限目に無意識におなかすいたーと言ってしまった。これから、口癖がおなかすいたーになる予感がする。

 

⑤男子と話せない

 

びっくり度★★★☆☆

 

これは、私のコミュ力のなさにびっくりした。

中学校のときも、男子が怖くて話せなかった。そのときは、怖そうにふるまっている男子が悪いじゃん、ととても一方的で独りよがりな考え方をしていた。

高校生になってからもやはり怖い、、話せない、、、、絶対に原因は私の中にある、、、改善しなければ。

 

 

というわけで、同じ中学出身の人が誰一人もいない、まったく異なる環境に一歩を踏み出した私だが、今のところはこんな感じで学校生活を送っている。

来月の私は、どんな景色を見ているのだろう??

 

Mちゃんという名の

私が通っていた日本人学校は、小学校と中学校が同じ校舎内にある、いわゆる小中一貫校だった。

全校児童生徒数が、日本の学校のだいたい1クラス分という超小規模の学校だったこともあり、学年の壁を越えて日々関わることができた。

小6のときに私にも、1つ学年が上の友達Mちゃんができた。

それまで一言ちょっと話すだけの間柄だった私が、Mちゃんと仲良くなったきっかけはわからない。でも、私たちは気づけば、関われるときはたくさん関わりたいと思えるような関係になっていた。今思うと、分け隔てなく誰とでも話せて、包容力のある彼女の人柄が周囲の人を引き寄せていたのかもしれない。

 

当時、学校に通う意義があまり感じられなかった私にとって、Mちゃんと他愛もないお話をする時間は、一種の安定剤のようなものだった。そのとき私はスマホを持っていなかったが、仮に持っていたとしたら毎日のようにLINEをしていただろう。執着心が半端なさ過ぎて自分でも気持ち悪いと思ってしまうが、それくらい、出会った仲でピンとくる友達は今までになかった。

 

小6になってからちょっと経って、Mちゃんと仲が深まってきた頃、父から中学受験をしないかと勧められた。いや、父は受験に積極的というよりは、私の意見を尊重するタイプなので、勧めるというよりは私の考えを聞きたかっただけだったと思う。

私はMちゃんとそのまま中学部で過ごしたいと思っていたので、即

「やだ!!!!!だってMちゃんと一緒にいたいもん!!!!!!!!」

ときっぱり言った。そのあと、姉がそんな理由で挑戦しないの...?とボソッと聞こえた気がしたことは覚えている。中学部になると学校の中心的存在となるのもあって、中学部合同でする授業も多いから、格段に関わる機会が増えるし、絶対私の選択は間違っていないと信じていた。父は、「じゃあしないね。」で終わらせた。(でも、今考えてみると多くの中学受験者は小3、4で準備をするようなので、私は挑戦したとしてももう手遅れ感満載だったことは否めない。。)

 

 

小6の2学期に、中学部の人と一緒に修学旅行に行った。

もちろん、私はMちゃんと宿泊先も同じ部屋にしたし、レストランでも、バスでも、いろいろな場面で一緒に行動した。とても充実した1日だった。

あれは、確か2日目にレストランで夜ご飯を食べていたときだった。

Mちゃんとは席が隣同士だったので、いろいろ談笑していたのだが、Mちゃんがいきなりスプーンとフォークを置いて食べるのを中断した。そして、ちょっと間があったあと、Mちゃんがゆっくりと口を開いて、こう言った。

「私、実は、来年の3月に日本に帰るんだ。」

その瞬間のことは今でも鮮明に記憶に残っている。私は言葉も出なかった。「えっ」としか返せなかった。「でも、まだ誰にも言ってないから、あまり広めないでね。」とMちゃんに言われたときにはすでに、もう、心ここにあらずという感じだった。

その瞬間、私は中学受験の話を思い出した。なんだか、この状況自体が何かの小説の伏線回収みたいで私は一瞬物語の主人公のような気持ちになった。って、そんな悠長な考えをする余裕はなかったけれど、でも、修学旅行が終わってから数日後、大好きな友達といたいがために中学受験を拒んだ自分が一気に情けなく感じた。もう、そのときには年が明けていたから今更中学受験したいなんて言えるはずもなかった。

 

Mちゃんが帰国した年、私が中学校に入学した中1の1年間は、新型コロナウイルスの影響で1年間休校になり、家でのオンライン授業を余儀なくされた。私の思い描いていた中学校生活は台無しになった。(と当時は思っていた。振り返ってみると案外悪くはなかった。)

そのときほど、自分の過去の行動に後悔したことはない。

というより、私は行動すらしていないことに後悔していたのだった。

私は、挑戦もせずにチャンスを拒み、見逃した。

そのことに心底自分を憎んだ。それが自分にとっての最良の選択だと思っていたが、結局かえって自分を苦しめる羽目になった。

同時に、自分のことまでを友達基準のものさしでいつのまにか判断してしまうことの脅威を感じた。

 

その後私も帰国することになった。

転入先の学校では、この嫌な思い出をまるで払拭するかのように、ちょっと自信のなかったり、興味があまりわかなかったりすることでもまずは挑戦してみようという精神で、たくさんのことをしてきた。そのおかげで(3日坊主の私が←ここ重要)今では2つも興味のあることを続けることができていて、より1日1日を大事にするようになった。

友人関係も、仲の良い特定の親友をつくるというより、広く浅く交友関係をつくっていくことのほうが性に合っている気もしてきた。

廊下などで、「トイレ一緒にいこうよ」と声をかけたり、いつどんなときでも全く同じ人とかかわっている人を見たりすると、過去の自分を見ているようで嫌気がさし、自然とそういう行動もしなくなった。(当事者たちが嫌いなわけではない。ただ、自分と重ねてみてしまうから嫌なだけだ。)

 

中3になってからは、周囲から「友達と一緒だからこの高校がいい」というように志望校を選んではだめだ、とよく言われた。実際に似たような経験をしていないとこういう事実に隠された裏側の「痛さ」だったり、「落とし穴」だったりを深く理解することはできないだろう。

Mちゃんとの出会いは、大きな打撃とともにこれまでにない教訓を得るきっかけとなった。もちろん前者のほうがダメージはあるものの、この経験がなかったら教訓なんて痛感することはなかっただろうし、今の私はきっといない。

 

最近、Mちゃんと再会するという夢を見た。夢と現実世界の境目がつかなくなり、LINEを交換するつもりができなかったことに、起床してからもトイレで5分くらい物思いにふけっていた。

最後にMちゃんと会ってから、もう3年がたとうとしている。今、元気にしているだろうか。連絡先は知る由もない。でも、もう1度また会える機会があるのなら、今度私は何を伝えようか。おそらくお互いが日本に住んでいる今、地理的に距離が近いから、ひょっとしたら明日道端でいきなり会えるかもしれないと、ちょっとした無謀な期待と、哀愁を感じながら日々を送っている私だ。

 

 

私の中学校3年間と、IB認定校へ入学する理由

私はこの春から、IB認定校に入学する。

 

IBは今日本で注目されつつあるが、日本で一般的に行われている勉強とは大きく異なるプログラムだ。

私の中学校からは私以外に1人しか進学する予定がないくらい、まだまだ知名度が少なそうなこのプログラムに、なぜ私が挑戦してみようと思ったのかまでの軌跡を書こうと思う。

 

 

受験を意識し始めた中学校1年生

私が高校受験を意識し始めたのは、中1からだった。

新型コロナウイルスの影響で入学当初から1年間、オンライン授業だったことから、自分の将来について考える時間が大量にあったこと、また、私は海外の日本人学校に通っていたことから、周りのレベルがめちゃくちゃ高かったことが理由だ。

新しい学校生活にワクワクし、自分を変えるよいチャンスだと感じていたのにもかかわらず、私が中1だった2020年はコロナが猛威をふるっていたので、中学校生活はしょっぱなから台無しになった。と、当時の私は強く思っていた。

だから、そのショックと不安をかき消す(というよりも無視する?)ために、家でもできる勉強をした。多分、今までにもこれからもないくらいw

このような背景もあり、当時英語が好きだったことから国際系の高校にいきたいなと考えていた。

 

私史上最も輝いていた中学校2年生(2023年3月時点)

中2時代を一言であらわすと、挑戦だ。

中1のときの反動で、何か新しいことをとりあえず始めて、今の状態から脱却したい衝動に駆られていたので、様々なことにチャレンジしていった。

幸い、このころになると普通に学校に通えることができるようになっていたので、学校は率先して様々な役割をした。小学校から入っていた委員会の委員長に初めて立候補して、学校全体のリーダーとして活動した。この委員会は日本の学校でいう生徒会のような位置づけだった。

中2の10月に日本に帰国後、公立中学校に転入した。今までの日本人学校とは大きく違う環境にいきなり飛び込み、バスケットボール部に入部した。これまでやったことも、試合を観たこともない、ドリブルってなに、みたいな超超初心者だった私だが、6か月という短い期間の割には上達したと思う。(あまり期待はしないほうがいい)

日本人学校の経験も生かしながら、部活を通して同級生だけでなく他学年の友達もたくさんできた。今までにないくらい充実した日々を送っていたと思う。1年生のころになぜあんなに悩んでいたのか、本当に不思議に思うくらい毎日が楽しかった。

と同時に勉強する時間がゴソッとなくなったので、中1のときみたいな生活には終止符を打った。やはり時間に余裕のあるときにやりたいことをすべきだと感じた。推せるときに推せ、みたいな(ちょっと違う気がする)。

そして、志望校もまたまた変わり、今度は普通科進学校に行きたいと思うようになった。確かに自分は英語やその他言語が好きだけれど、言語を極めたとしても、専門性がなさそうだと思った。言語はツールであって、もっと別のことを幅広く勉強していくのが必要なんじゃないかと思えてきたのだ。

 

転機の中学校3年生

中3とはいえ、1学期まではまだまだ部活はしていたし、私のいる(た)中学校はそんなムードにはなっていなかったので、受験生というのはただの肩書きだけだった。ちなみに受験シーズンになってもクラスはわちゃわちゃしていて受験生らしい雰囲気は全くなかった。これが公立中の事実…。(場所による)

そんな夏休み前の1学期に、ふとIBの体験授業ができる高校に足を運んだ。担任の先生が学校見学へ行け!!と念を押して言ってきたので、というのはあまり理由にはなっていないが、本当にふらーっと、そこにあるからいった、みたいなノリで行った。やはり理由になっていない。しかし、本当に理由なんてなかった。それでも行こうと思ったのならそれなりに理由はあったのかもしれない。

そのとき、IBは名前こそ知っていたものの、自分には無縁だと本気で思っていた。ただ、覚えていることは、高校へ行く途中で父と喧嘩したことだった。

しかし体験授業を終えた後、私はさっきまでの父との不穏な空気をかき消すように、「え、たのしいんだけど!!!!」と父に言った。忘れもしない、あの日が私を確実に変えた。さすがにそのとき一緒に受けた人の顔までは覚えていない。

その後、いろいろな高校に見学しに行ったが、結局IB認定校のみを受験し、合格した。2つ受けて1つは落ちた。そして、高校課題もせずにこうやってブログを書いている今に至る。

 

IB認定校に入学する理由

私がIBに惹かれた理由としては、生徒が主体的に活動するスタイルの学びだったからだ。また、IBの目標とすることが、大学に合格するとかいったことではなく(もちろんそういう側面もあるかもしれないが)、将来全体を見据えたものになっているからだ。ただでさえIB自体がハードだといわれているのに、片道2時間かけて認定校に行こうとする私の今の動機はこれだ。

体験授業に行った日と同じくらいの時期から、私は学校の授業がどうしてもつまらないと感じるようになった。私は特別頭がよいというわけでもないので、授業で教えられるすべてのことが理解できるからつまらない、という意味の「つまらない」ではなかったけれど、ただつまらないと思うようになった。眠い眠いと言いながら、必死に先生の話を聞く友達を見るのも、どうしても辛かった。高校でもこういう形式の授業を受けていたら、いつしか受動的になってしまう自分が容易に想像できて、それも嫌だった。

そのため、英語も使えてかつ汎用性のある力を身に着けられそうだと思ったIBを私は選んだ。

 

伝えたいこと

私がこの3年間の経験を通して後世に伝えるとするなら、

最初から自分で限界を決めたり、範囲を絞ったりしてしまうと、最終的には自分の首を絞めてしまうということを伝えたい。

私が自分で最初に自分を絞っちゃったなーと思うのは、「理系科目は無理だから理科系の学校は無理だな」とか、「IBは自分に無縁だ」とかだ。

たいてい、できないと思っているのは、そのことを表面的にしか見ていないからだと思う。私はそうだった。IBだって最初は、「海外大学に進学するため『だけ』のプログラム」だとしか思っていなかった。私は、IBを知るのが遅かった。最初から視野を広げ、もっと好奇心を持ってIBについて調べていたらもっと早くから志望できたし、たくさん準備ができたのに、と思う。

だから私もこれからは、もっと見方を拡大して物事をみて、すぐ取捨選択をせずに自分の中に取り入れられるような、網目の粗いをネットを目指して過ごしていきたい。(???)