Mちゃんという名の

私が通っていた日本人学校は、小学校と中学校が同じ校舎内にある、いわゆる小中一貫校だった。

全校児童生徒数が、日本の学校のだいたい1クラス分という超小規模の学校だったこともあり、学年の壁を越えて日々関わることができた。

小6のときに私にも、1つ学年が上の友達Mちゃんができた。

それまで一言ちょっと話すだけの間柄だった私が、Mちゃんと仲良くなったきっかけはわからない。でも、私たちは気づけば、関われるときはたくさん関わりたいと思えるような関係になっていた。今思うと、分け隔てなく誰とでも話せて、包容力のある彼女の人柄が周囲の人を引き寄せていたのかもしれない。

 

当時、学校に通う意義があまり感じられなかった私にとって、Mちゃんと他愛もないお話をする時間は、一種の安定剤のようなものだった。そのとき私はスマホを持っていなかったが、仮に持っていたとしたら毎日のようにLINEをしていただろう。執着心が半端なさ過ぎて自分でも気持ち悪いと思ってしまうが、それくらい、出会った仲でピンとくる友達は今までになかった。

 

小6になってからちょっと経って、Mちゃんと仲が深まってきた頃、父から中学受験をしないかと勧められた。いや、父は受験に積極的というよりは、私の意見を尊重するタイプなので、勧めるというよりは私の考えを聞きたかっただけだったと思う。

私はMちゃんとそのまま中学部で過ごしたいと思っていたので、即

「やだ!!!!!だってMちゃんと一緒にいたいもん!!!!!!!!」

ときっぱり言った。そのあと、姉がそんな理由で挑戦しないの...?とボソッと聞こえた気がしたことは覚えている。中学部になると学校の中心的存在となるのもあって、中学部合同でする授業も多いから、格段に関わる機会が増えるし、絶対私の選択は間違っていないと信じていた。父は、「じゃあしないね。」で終わらせた。(でも、今考えてみると多くの中学受験者は小3、4で準備をするようなので、私は挑戦したとしてももう手遅れ感満載だったことは否めない。。)

 

 

小6の2学期に、中学部の人と一緒に修学旅行に行った。

もちろん、私はMちゃんと宿泊先も同じ部屋にしたし、レストランでも、バスでも、いろいろな場面で一緒に行動した。とても充実した1日だった。

あれは、確か2日目にレストランで夜ご飯を食べていたときだった。

Mちゃんとは席が隣同士だったので、いろいろ談笑していたのだが、Mちゃんがいきなりスプーンとフォークを置いて食べるのを中断した。そして、ちょっと間があったあと、Mちゃんがゆっくりと口を開いて、こう言った。

「私、実は、来年の3月に日本に帰るんだ。」

その瞬間のことは今でも鮮明に記憶に残っている。私は言葉も出なかった。「えっ」としか返せなかった。「でも、まだ誰にも言ってないから、あまり広めないでね。」とMちゃんに言われたときにはすでに、もう、心ここにあらずという感じだった。

その瞬間、私は中学受験の話を思い出した。なんだか、この状況自体が何かの小説の伏線回収みたいで私は一瞬物語の主人公のような気持ちになった。って、そんな悠長な考えをする余裕はなかったけれど、でも、修学旅行が終わってから数日後、大好きな友達といたいがために中学受験を拒んだ自分が一気に情けなく感じた。もう、そのときには年が明けていたから今更中学受験したいなんて言えるはずもなかった。

 

Mちゃんが帰国した年、私が中学校に入学した中1の1年間は、新型コロナウイルスの影響で1年間休校になり、家でのオンライン授業を余儀なくされた。私の思い描いていた中学校生活は台無しになった。(と当時は思っていた。振り返ってみると案外悪くはなかった。)

そのときほど、自分の過去の行動に後悔したことはない。

というより、私は行動すらしていないことに後悔していたのだった。

私は、挑戦もせずにチャンスを拒み、見逃した。

そのことに心底自分を憎んだ。それが自分にとっての最良の選択だと思っていたが、結局かえって自分を苦しめる羽目になった。

同時に、自分のことまでを友達基準のものさしでいつのまにか判断してしまうことの脅威を感じた。

 

その後私も帰国することになった。

転入先の学校では、この嫌な思い出をまるで払拭するかのように、ちょっと自信のなかったり、興味があまりわかなかったりすることでもまずは挑戦してみようという精神で、たくさんのことをしてきた。そのおかげで(3日坊主の私が←ここ重要)今では2つも興味のあることを続けることができていて、より1日1日を大事にするようになった。

友人関係も、仲の良い特定の親友をつくるというより、広く浅く交友関係をつくっていくことのほうが性に合っている気もしてきた。

廊下などで、「トイレ一緒にいこうよ」と声をかけたり、いつどんなときでも全く同じ人とかかわっている人を見たりすると、過去の自分を見ているようで嫌気がさし、自然とそういう行動もしなくなった。(当事者たちが嫌いなわけではない。ただ、自分と重ねてみてしまうから嫌なだけだ。)

 

中3になってからは、周囲から「友達と一緒だからこの高校がいい」というように志望校を選んではだめだ、とよく言われた。実際に似たような経験をしていないとこういう事実に隠された裏側の「痛さ」だったり、「落とし穴」だったりを深く理解することはできないだろう。

Mちゃんとの出会いは、大きな打撃とともにこれまでにない教訓を得るきっかけとなった。もちろん前者のほうがダメージはあるものの、この経験がなかったら教訓なんて痛感することはなかっただろうし、今の私はきっといない。

 

最近、Mちゃんと再会するという夢を見た。夢と現実世界の境目がつかなくなり、LINEを交換するつもりができなかったことに、起床してからもトイレで5分くらい物思いにふけっていた。

最後にMちゃんと会ってから、もう3年がたとうとしている。今、元気にしているだろうか。連絡先は知る由もない。でも、もう1度また会える機会があるのなら、今度私は何を伝えようか。おそらくお互いが日本に住んでいる今、地理的に距離が近いから、ひょっとしたら明日道端でいきなり会えるかもしれないと、ちょっとした無謀な期待と、哀愁を感じながら日々を送っている私だ。